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旅館の夕食時は飲みながら食べるのが前提だとは思いますが、居酒屋は使っているが日本料理店の経験がない人には難しいのかもしれませんね。和食の中にもいろいろあることを知らない人が増えているのは大企業の接待文化が消えつつあることと関連しているのかなとは思います。

かつて、具体的には90年代末くらいのイメージなんですが、当時お店にアルバイトとして「シュッとした感じ」の女の子が入ってくると、教えるのがものすごく楽でした。というのは彼女たちは飲食店でのアルバイト経験があろうとなかろうと、やたら高い店で「奢られ慣れていた」からです。料理や飲み物の提供の仕方にしてもお客さんの案内や接し方にしても、サービス全般に関して一流のそれを一応体験してたので、後は「そういう店でやってもらってた事を今度は自分がやる番」という前提ありきで店のやり方を説明すれば良かったわけです。 ちなみにこの「奢られ慣れてる」は、昨今のパパ活だなんだみたいなエグい話ではなく、当時は同年代やちょっと上の男子たちも全力で背伸びしてヘトヘトになりながら奢ってたりしたのです。 ところが次第にその感覚が通用しなくなってきました。 同じような「シュッとした」女の子もほとんどレストラン経験値が無く、せいぜいカフェ止まり、みたいな。 それに気付いたころ、自分と同年代のお姉さんにそんな話をしたところ 「そりゃ私たちの頃はどんな高い食べ物でも一声かければどんだけでも奢ってもらえたもの。今の子はかわいそうよ。全部自腹でしょ?」 と、これまた極端な事をおっしゃってました。 まあもちろんかつてのバブル引きずったホイチョイプロダクション的世界観を肯定するつもりもさらさらありませんし、質問者さんの指摘されている昭和的な?接待文化も全肯定はできませんが、そういったものの喪失により、一部の外食文化の伝承が極めて限定的になってきている気はします。 食に情熱を傾ける層の絶対数自体は確実に増えているとは思いますが、それでもそれはあくまで一部であり、イタリアンやフレンチのレストランクラスの店ってその一部の好事家に支えられてる気がしますし、和食(寿司とか鰻とか意外)はもっとそうなのかもしれませんね。コロナ禍でそれは更に進行しそうでもあります。 接待やら口説きやら体裁やらと関係なく、単なるおいしい物好きがおいしいものをゆったりとした時間の中で楽しむ、しかもそれはあくまで日常生活の延長で、という文化がもっともっと醸成されていってほしいと心から願ってますし、そのために自分ができることは何か、というのが永遠のテーマでもあります。

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