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2021-08-07のエントリーの安心決定鈔の御文を尊く読ませていただきました。
そこで全文を読んだのですが、御提示の文の後には「かるがゆえに領解も機にはとどまらず、領解すれば仏願の体にかへる。名号も機にはとどまらず、となふればやがて弘願にかへる。」とあります。
この意味がよくわかりません。いわゆる三縁のうちの親縁を表しているのでしょうか。

「領解も機にはとどまらず、領解すれば仏願の体にかへる」 というのは、私が名号を聞き入れたといってもそれは私の心の中から出てきたものでもないので、私の心にずっととどまるようなものではなく、阿弥陀仏の本願からあらわれたものなので本願そのものであるとなるという意味です。称える念仏も同様に、私の中からでてきたものではないので阿弥陀仏の本願そのものとなるということです。

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