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イナダさんこんにちは。
イナダさんは様々な料理を分類していらっしゃいますね。
そのモチベーションはどこにあるのでしょうか?

「分類」と言うよりは「分析と言語化」だと思ってます。 食べ物の「味」は「言語化」されない限り正当に評価されません。昔はともかく、価値観が多様化した現代において、それは絶対に無視できない要素です。 「おいしければそれでいい」というのは正論であり、また広く認められている価値観です。僕もこれに意を唱えるつもりもありませんが、しかしこれには二重の罠が仕掛けられているとも思っています。 ひとつは、これは理性の助けを借りて初めて理解に達するタイプのおいしさを放棄している、という面。ここにおいて「おいしければいい」はある種の反知性主義に陥りかねません。 もうひとつは「おいしければそれでいい」という理由で愛しているつもりでも、そこには言語化済みの「物語」が何らか介在しているはずだ、という点です。 純粋に生理学的に、言い換えれば感覚的においしい、という意味で言うと、悪意や失敗が介在しない限り世の中には「おいしくないもの」は存在し得ません。しかしその一定のレベルを超えて更においしいかどうかは、言語によって形成された物語、言い換えれば文化に依存していると僕は考えています。 なのでご質問の「モチベーション」に関して言うと、僕は、いまだ的確に言語化されていない食べ物に対して物語を付与するということに使命感めいた楽しさを感じているんだと思います。 僕は寿司もラーメンも好きですが、もうそれらは概ね適切に言語化されてます。ワインや日本酒はもっとです。だからそのあたりはその成果を享受しつつ自分は受け手として楽しむだけで充分。そこにまで至っていない有象無象の食べ物たちに対して、同等の物語を付与したい、なぜならそれはあんまり誰もやってないから、というのが根本なのかなと思います。

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