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現在日本のグルメは美味しんぼ的な理想主義な価値観がベースにあるように思えます。本物の素材、無化調的な。そのカウンターとして孤独のグルメ的なB級グルメな価値観があると思います。

でも私的に一番そそるのは、料理人味平的なケレン味あふれた前時代的の勢いのある料理がうまそうに思えます。

イナダさんの好きなグルメ漫画、またはおすすめのグルメ漫画はなんでしょう?

美味しんぼが理想主義的な価値観にもとづいているのはその通りだと思います。 ですが問題は理想主義的であることではなく、それがあまりにも単純化されすぎたところにあるのではないかとも思っています。 その世界観とはこういうものです。 ・世の中の食べ物には「本物」と「ニセ物」がある。 ・「本物」は、天然、自然、伝統、人の手間、といった概念に紐付けられ、「ニセ物」は商業経済や近代的製造業に紐づけられる。 ・その序列は「食通」にとっては揺るぎない共通認識であり、それを世間に啓蒙する使命がある。 ・啓蒙された庶民は例外なくその序列を理解して受け入れる。 つまり世の中には絶対的な正義と悪が存在し、悪は正義によって正されなければならない、という構図。水戸黄門とかマジンガーZと同じですね。 もちろんこういう単純化はエンタメ作品としてはとても有効です。まして『美味しんぼ』は「本格グルメ漫画」の草分け。創成期においてそういう分かりやすさは大事です。 よくよく考えれば無理があるこの世界観に不思議な説得力を与えたのが、次々に繰り出されるエピソードやウンチク。そこにはこれといってオリジナリティや新規性はありません。それこそ北大路魯山人をはじめとする過去の「食蘊蓄」系の文芸作品で繰り返し語られてきた、当時でも一部の人々(文芸オタ×食オタ?)にとっては「常識」だったであろう事が中心です。 『美味しんぼ』はそのシンプルな世界観に基づいてその「常識」を分解再構築して物語化したエンタメ作品と言えます。そしてそれが抜群に面白かった! 当時の食(通)クラスタは今よりぜんぜんマイナーでした。そのマイナーな、そしてマイナーな分「熱い」世界の物語を世間に向けてわかりやすく、面白く解題していくというのはそれだけで最高に楽しいものです。 スケールの桁が全く違う話で恐縮ですが、僕がかつてサイゼリヤ活用術でバズった時も、そこに書かれている事は一部の限られた世界では「常識」でした。それがその世界の外では新鮮な驚きをもって迎え入れられたのです。確かに楽しかった。あれは。 作者も初期はその楽しさに夢中になっていたように僕は感じます。ある意味逆張りとも言える、それまでの(世間一般の)常識を覆す持論を次々と紡ぎ出し、それに説得力を持たせる楽しさ。 ある時作者は素っ頓狂な遊びを仕掛けます。食マンガなのに食とは全く関係ないPCの話をし始めるのです。その内容はご存知の方も多いと思いますが「とにかくWindowsはダメでMacは素晴らしい」というもの。あのくだりはあたかも『美味しんぼ』のセルフパロディです。作者完全に楽しんでます。もっともあれはさすがに調子に乗りすぎたようで、(そして本編よりかなり理論武装が雑だったので)真面目な読者からの真面目な批判も凄かったようですが。 しかし何しろ『美味しんぼ』は面白すぎましたし、作者の持論の展開は「もっともらしさ」という意味で巧みすぎました。そのため徐々にこの作品は単なる「青年誌連載エンタメ漫画」の域を超えた社会現象になっていきます。つまりその極度に単純化された世界観を現実のものとして「真に受ける」人々が増えていくのです。 過去の文芸系食ウンチク物は、あくまで「個人の見解」でした。しかしその集大成である『美味しんぼ』はマンガすなわち集団劇です。先品世界で作者個人の見解はあたかも第三者話法的に語られます。単なる発行部数の差だけではなく、その説得力は凄まじい。 そしてその中で作者自身も徐々に、自らが生み出した世界観に逆に取り込まれていった、という印象を僕は持っています。 単純な世界観はフィクションならいいですけど、それが現実に影響を及ぼすとなると少し困ったことが起きます。 冒頭に書いたこの作品の世界観と構造の部分をもう一度読み返してみてください。何かによく似ていると思いませんか? そう、「陰謀論」です。 世界は組織的な悪意に満ちており真実(本物)は隠蔽されている。 真実に気がついた我々は民衆を啓蒙せねばならない。 (実質的には、「民衆に対してマウンティングを行う権利を有する」。) 商品経済や近代的合理化が目の敵にされがちなのも似ています。 「一億総グルメ化」と言われるその時代の流れにおいては、良くも悪くもこの陰謀論が果たした役割は大きいと思います。 「良くも」と書いたのは、あくまで食に関してはそれを「陰謀論」だけで片付けてしまうのもまた間違いだと思っているからです。確かに行き過ぎた商業主義や大量生産や近代化の弊害というものは無いとは言えない。そういう意味で『美味しんぼ』の根底を貫く、自然な物、伝統的な物、手をかけた物は素晴らしい、という価値観自体には僕もある程度共感しています。ただしそれは「おいしさ」における必要条件でも十分条件でもない。そして価値の序列は決して絶対的な物ではない。 おいしいものがおいしいのはそれが「正しい」ものであるから、ということは往々にしてあるかもしれない。しかしその「正しさ」は誰にとっても正しいわけではない。 『美味しんぼ』の世界観を「真に受ける」ことを僕は「美味しんぼの呪い」と呼んでいます。何を隠そう、というか隠すまでもなく僕自身も呪いにかかっていたことのある一人です。今は解呪を終えたつもりですが、しかしたまに、もしかしたら自分の右目の奥にはまだ使徒が埋め込まれたままなのではないかとふと思うこともあります。 グルメレビューサイトなどを見るまでもなく世の中にはまだまだその呪いは健在ですが、全体としては徐々に解呪の方向に向かっているように思います。山岡や雄山はもはやパロディ的に扱われることの方が多い。ただし僕は彼らを笑うことはできません。少なくとも彼らが「美味しいもの」に対してひたすら真摯だった姿そのものがおちょくられているのを見るのは少し寂しい。 というわけでご質問の「好きなグルメ漫画」ですが、そこは胸を張って『美味しんぼ』で。

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